2011年11月20日日曜日

旅行記5 サラエボ編

ようやくサラエボ日記まできたー!


旅行から帰って、周りの人に
「どうだった?」と聞かれて、
「楽しかった!料理美味しかった!」ぐらいしか言えなくて、
うまく伝えられない、、、、。

確かに友達が留学とかに行っても、こまかい事はうまく聞けないので、
やっぱりこうやって文章に残しておくことが、
忘れないからよいなあ、と思った。




この後、およそ4日間サラエボにいた。
順番は覚えていないので、写真と共に書いていこう。


とにかくサラエボの4日間は濃厚だった。



タクシーで宿泊先のゲストハウス「halvat」到着。















このゲストハウスは日替わりでいろんな女性が管理をしていて、
みんなとても可愛らしく、とても優しかった。
オーナーはムスリムなのだそうだが、全然わからなかった。

部屋に上がる時も、靴を脱ぐのがマナーとどこかに書いてあったので、
聞いたけれど、そのままでOKと言われた。

部屋も広く、部屋に行くまで母屋からドアを開け、階段を登り部屋に入る。
特別なゲストルーム的なものだった。











とはいえ、建物自体は民宿っぽく、こじんまりとしている。
PC、iPhone共ネットが無事拾えた。



朝早く着いたので、チェックインだけし、荷物を預け、
バシチャルシヤ(Baščaršija)と呼ばれる旧市街に向かった。
ゲストハウスは旧市街の中にあるので、とても便利だった。















この旧市街は、トルコ人地区のため、町並みも文化色が色濃い。
ムスリムの人々も多く住んでおり、モスクが所々に点在する。







このあたりにも、ユースホテルとかSOBEが
とてもたくさんあるので、
延泊しても大丈夫そうだった。













まず、すごっく空腹だったので、
地元の人がたくさん居そうなお店に適当に入ってみた。
店名は忘れたけれど、ここの店には4回ぐらい行ったな。


ボスニア料理はとても美味しいと聞いていたので、
安心して適当にたのむ。
シチューみたいな煮込み料理に、
フォカッチャみたいなパン(フォカッチャに塩とオリーブオイルを使ってない感じのパン)が
付いてくるのが主流。
3MK~5MKぐらい。1€=2MKの計算らしい。よって、1KM=約56円ぐらい。
安い!!







この日は「チキンスープ」と
「ミネストローネ的なもの」を食べた。
おいしいい!毎日これでも良かった!







食事後は取りあえず旧市街を歩く。


一日である程度はまわれる広さ。


トラムが各方面に走っていて、乗り場も点在している。
一日券が5.3MKで買えるようなので、明日買うことにした。
3番のトラムに乗れば、旧市街、有名なスナイパー通りを通り市街へといける。


乗車券は乗り場の前に必ずあるキヨスクで買える。
当然売り場の人は愛想はない!もちろん英語不可。


この日は、写真を撮ったり、念のために銀行を探したり、
明日の夕食はあそこで食べよう!とか、
特になにもすることもなく、ぶらぶらとした。
こうゆうのが一番楽しい。


夕食はガイドブックに載っていた川沿いの「Inat kuca」で食べた。













川沿いを歩くと見えてくる。













店員がニコラスケイジに似ていたな。















ボスニア料理のロナッツを壺に入れ煮込んだ「ボスニアンポット」がすごく美味しかった。
(ロナッツとは、牛の角切り、キャベツ、にんじん、黒こしょう粒、じゃがいも、
玉ねぎを煮込んだもの)写真暗い、、、、。


他にもボスニア料理の盛り合わせ↓

●ソガンドルマ(たまねぎのひき肉詰め)
典型的なボスニア郷土料理。たまねぎとひき肉の炒めをタマネギに入れた肉詰め。ん?説明すると複雑。

●サルマ(春菊の葉で肉を包んで煮込んだもの)
肉に米や野菜などを混ぜて団子状にして、春菊の葉やキャベツの葉でくるんで煮込んだ料理。

などが盛り合わせてあった、、、と思う。

チキンスープはとりあえず、毎回頼んだ。
どれもすごく美味しかった!!!




ここからの眺めは、ほんとうに良かった。
きらきらでキレイ!とかでは全くなく、ジプシーミュージックが流れていて、
とても寂しげ。




セルビアもボスニアも、過去はひとつのユーゴスラビアという国だった。
信じられない。
過去のさまざまな国と国との歴史を思い出した。


今は平和が訪れている。少しずつ観光客も増えている。

















クストリッツァのアンダーグランドを思い出した。



ここに赤い屋根の家を建てる
煙突には鳥が巣を作る
客たちを迎える門は広い
恵みを与える大地には感謝を忘れまい
花咲く野は祖国の織物を思わせる
だが 苦痛と悲しみと喜びなしには-
子供たちにこう語り伝えられない
“昔 ある所に国があった”と




「ぼくたちは、許す。でも忘れない。」









夜の旧市街を歩きながら、
部屋へと戻った。

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