2011年12月27日火曜日

CATASTROPHE ART FROM THE EASTとTHE VISUAL ENCYCLOPEDIA OF SCIENCE FICTION


とにかく師走ですよ。

明日は会社の忘年会なので、頑張って今夜中に匠の寝技を身につけます。


今日、米軍本棚がやっと沖縄から届きました。
もう忘れられているのかと思った...。

























暗いな。昼間撮った写真で。上のPOPはお仕事で作ったものなので関係ないよ!
ガラス戸がついていて思ったより素敵だった。



















話は変わり、買った本紹介。


























『CATASTROPHE ART FROM THE EAST』(上写真右)















1972年イタリアのミラノで開催された
「CATASTROPHE ART FROM THE EAST」の際に、
発行されたカタログ。
日本の前衛的なハプニングやパフォーマンスのアーティスト作品を集めた展示内容。
(説明は引用)


最初宗教の本かと思ったけれど、前衛アートです。
宗教と前衛アートは近いものを感じる。

わたしたちもその方の近くにいます。


<登場アーティスト> 
松澤宥、パーリニヴァーナ・パーリヤーヤ体(赤土類、鈴木裕子、辻村和子)、
風倉匠、古澤タク、かわなかのぶひろ、池田龍雄、藤原和通、長澤英俊、河口龍夫、
彦坂尚嘉、高松次郎 




『THE VISUAL ENCYCLOPEDIA OF SCIENCE FICTION』(上写真左)



























「SF百科図鑑」。
SF史年表をはじめ、時間、宗教、戦争、ミュータント、ロボット等と言った
興味深いテーマに沿ってSF史を探求する充実の一冊。
テキストだけでなく、数多くの図版からもその魅力を読み取ることが出来る。
(説明は引用)


とにかく、読み応えはありますが、全ページ英語。
なので図版を見たり、SFの歴史を絵から紐解きながら見るのが楽しい。
SF好きにはたまらんと思う。




年末年始は宴会が多いので、身体には十分気をつけるべし!

2011年12月15日木曜日

旧ユーゴの旅 旅行記6 + 写真コーナー vol.04


























サラエボで仲良くなったおじちゃんとおばちゃんがいた。

夕方あたりに、「今日は何たべよっかなー。」なんてトラム沿いをぶらぶらしていたら、
ピンクの壁のバーから、おばちゃんが手招きしてる。

わたしが「あ、あたし??」みたいにしてると、
おばちゃんが出てきて、「はいってはいって〜。」といった感じで。

先に歩いていっちゃってた旦那さんを大声で呼び返し、
少々怪しいとは思いつつも、迷うことなく中へ。

おお!店内もピンク!
中にはおじちゃんが一人。

「どこからきたの?」と聞かれ、
「日本!日本!!」と返す。
(申し訳ないけど中国人とは間違えて欲しくないので、ここは強めに。
ヨーロッパ全体かもしれないが、ここの国々の人からの中国人へ印象はあまり良くないらしい。)

相変わらずのビールとジンジャーエールを注文し、かんぱーい。
気持ちおじちゃんたちをチラ見して軽く乾杯。

おじちゃんの方は、英語が私たちよりも達者だったのでちょっと安心。

おじちゃんとおばちゃんは終始、昼ドラみたいな恋愛ドラマに食いつく様に見入ってる。

どうやら、日課らしい。


見終わったぐらいに、「写真撮らせてもらっていいですか?」
「おっけおっけーー!」と言ってくれたので、一枚。



















日本の地震のこと、サラエボオリンピックの日本の選手の「佐藤」の話やらで、
コミュニケーションを取り、最後におじちゃんとメール交換した。

旦那さんが、日本の好きなミュージシャンの音をおじちゃんにiPhoneを使って聞かせたら、
興味津々だった。音楽は万国共通だ。

おじちゃん、おばちゃん、可愛かったな。

というのも、その日の前の日に、ATMでのキャッシュカードがまったく使えなく、
現金が底を着く危機状況にあったばかりだったので、この二人に相当癒やされた。

ちなみに、ウエスタンユニオンという送金機関で、すぐの入金の引落ができることをネットで調べて知り、
なんとか助かった。セブンイレブンでも送金できる。便利だな。
念のために近かったので、大使館にも行ってみた。日本語久しぶりに聞いてとても安心した。
おにいさんは日本からの転勤命令の時「なんでサラエボなんだ??!!」と思ったらしい。
そりゃそうだわな。わたしでもそう思う。


その後も、何度かこのバーの前を通ったけど、いつもおばちゃんはテレビに見入っていた。
わたしたちに気がつくと手を振ってくれた。


おばちゃんにも、いろんな過去があるのだろうな。

























次の日、明るい時に見たバーの外壁。
こやって見るとピンクで無理矢理塗っていたんだね!



この何日間、サラエボに居た後、
ボスニアのモスタル→クロアチアのドュブロヴニクにバスで移動する予定だったけど、
現金騒動のおかげで、このまま、クロアチアのザグレブに移動する日まで
おとなしくサラエボに居ることにした。
特にドュブロヴニクは、もろ観光地なので好みの街ではなさそうだし。


モスタルへのバスチケットは現地で購入しちゃってたけど!
一人1,000円ぐらいだったかな。
ちょっと記憶にないな。とにかくバスは安いし、かなり定刻通りに走っていた。

こっちはバス(ユーロライン)の移動が便利ということを、ウィーンに住む友達が教えてくれたので、
今回とても無駄なくお得な移動ができた。いろんな情報を本当にありがとう!




明日はユダヤ人博物館とサラエボの食事をご紹介します。
(世界の車窓から風に。多分明日は紹介しませんが!)




2011年12月14日水曜日

本と怠け者















「本と怠け者」
荻原魚雷

借家に住み、あまり動かず、日中はたいていごろごすごしている。
古書店めぐりをすませたあとは、おなじみの高円寺酒場で一杯。



これから、読みます。
今夜中の二時半。寝なくては、、、。
でも読みたい。

2011年12月12日月曜日

スチールロッカー




久しぶりの米軍家具新入りです。


















スチールロッカー。
すごい収納力。
すごく重たくて、
配置するのに二人で四苦八苦しました。

なかなか良かったので、もう一つ購入。

そこらじゅうに本が溢れかえっているので、
本棚も購入しました。

収納増やして、整理整頓、冬支度。

やるときゃやる。
普段はやらない。

2011年12月7日水曜日

おなじみの「世界の車窓から」


今、おなじみの「世界の車窓から」で、
バルカン半島西部をまわっています。
来年まで続くみたい。


今は、ボスニアを周遊しています。


ネレトヴァ峡谷編ではチトー率いるパルチザンが潜んだ山々が見られました。
こんな所で戦ったのか、、、、。すごい。


サイトのブログを読むのも楽しい。


クストリッツァの「ジプシーのとき」を最近旦那さんが購入したので、今夜こそ観たいと思う。
旧ユーゴのジプシー村が舞台。


仕事早く終わらせる!!

2011年12月6日火曜日

親愛なる

毎夜、
チトー(Tito)を眺めて眠りにつきます。







明日も私たちを多忙からお守りください。

2011年12月1日木曜日

2011年11月30日水曜日

月末の出来事

ちょっと旅日記の間に、日常日記を。


思い出したり、再熱したら旅日記に戻ります。



先週は、、、、


木曜日から飲み続けた。

木曜日に、いつものホリドール×cawa夫妻達と

麒麟楼へ。

島風食堂のおじさんもなぜか参加。

というか車に乗っていた。知らないうちに。


その後、上の夫婦の家にお邪魔して

大富豪をやったのに、

大富豪結構得意なのに!!!

まったく、ルールが思い出せず、泣きながら帰宅。悔しくて本当に泣いた。


その次の日は、会社でひどい二日酔いにより死ぬ。


その次の日は、専門学校の男友達が

うちの旦那さんとかとも仲が良いので、

なぜかカラオケにみんなで行った。

荒井由実の「雨の街」を歌った。

「ベルベットイースター」も好き。



大学生みたいな生活だった。







2011年11月21日月曜日

お得な情報

友達から教えてもらったメルマガ「トピックスバルカン」から
良い情報を得ました!


アエロフロート・ロシア航空は、期間限定で特別料金をご用意しました。
この機会に是非ご利用下さい。
東京(成田空港)~ロシア各都市・CIS・中近東・ヨーロッパ各都市
(エコノミークラス利用)本日~2011年12月22日 成田発 45,000円
2011年12月31日~2012年2月29日 成田発 45,000円
当料金の航空券の予約は2011年12月16日まで承ります。
燃油付加運賃、空港使用料等は別途お支払い下さい。
当料金でご利用頂ける席数には限りがありますのでご了承下さい。
適用条件等につきましてはアエロフロートまたは
旅行代理店までお問い合わせ下さい。
アムネスティ・アップデート

安い!!多分燃油サーチャージは4万ぐらいなので、10万以内でいけるよ!
いつもより3万ぐらいお手頃です。


ヨーロッパ各都市にも飛びます!行きどきです!


2011年11月20日日曜日

旅行記5 サラエボ編

ようやくサラエボ日記まできたー!


旅行から帰って、周りの人に
「どうだった?」と聞かれて、
「楽しかった!料理美味しかった!」ぐらいしか言えなくて、
うまく伝えられない、、、、。

確かに友達が留学とかに行っても、こまかい事はうまく聞けないので、
やっぱりこうやって文章に残しておくことが、
忘れないからよいなあ、と思った。




この後、およそ4日間サラエボにいた。
順番は覚えていないので、写真と共に書いていこう。


とにかくサラエボの4日間は濃厚だった。



タクシーで宿泊先のゲストハウス「halvat」到着。















このゲストハウスは日替わりでいろんな女性が管理をしていて、
みんなとても可愛らしく、とても優しかった。
オーナーはムスリムなのだそうだが、全然わからなかった。

部屋に上がる時も、靴を脱ぐのがマナーとどこかに書いてあったので、
聞いたけれど、そのままでOKと言われた。

部屋も広く、部屋に行くまで母屋からドアを開け、階段を登り部屋に入る。
特別なゲストルーム的なものだった。











とはいえ、建物自体は民宿っぽく、こじんまりとしている。
PC、iPhone共ネットが無事拾えた。



朝早く着いたので、チェックインだけし、荷物を預け、
バシチャルシヤ(Baščaršija)と呼ばれる旧市街に向かった。
ゲストハウスは旧市街の中にあるので、とても便利だった。















この旧市街は、トルコ人地区のため、町並みも文化色が色濃い。
ムスリムの人々も多く住んでおり、モスクが所々に点在する。







このあたりにも、ユースホテルとかSOBEが
とてもたくさんあるので、
延泊しても大丈夫そうだった。













まず、すごっく空腹だったので、
地元の人がたくさん居そうなお店に適当に入ってみた。
店名は忘れたけれど、ここの店には4回ぐらい行ったな。


ボスニア料理はとても美味しいと聞いていたので、
安心して適当にたのむ。
シチューみたいな煮込み料理に、
フォカッチャみたいなパン(フォカッチャに塩とオリーブオイルを使ってない感じのパン)が
付いてくるのが主流。
3MK~5MKぐらい。1€=2MKの計算らしい。よって、1KM=約56円ぐらい。
安い!!







この日は「チキンスープ」と
「ミネストローネ的なもの」を食べた。
おいしいい!毎日これでも良かった!







食事後は取りあえず旧市街を歩く。


一日である程度はまわれる広さ。


トラムが各方面に走っていて、乗り場も点在している。
一日券が5.3MKで買えるようなので、明日買うことにした。
3番のトラムに乗れば、旧市街、有名なスナイパー通りを通り市街へといける。


乗車券は乗り場の前に必ずあるキヨスクで買える。
当然売り場の人は愛想はない!もちろん英語不可。


この日は、写真を撮ったり、念のために銀行を探したり、
明日の夕食はあそこで食べよう!とか、
特になにもすることもなく、ぶらぶらとした。
こうゆうのが一番楽しい。


夕食はガイドブックに載っていた川沿いの「Inat kuca」で食べた。













川沿いを歩くと見えてくる。













店員がニコラスケイジに似ていたな。















ボスニア料理のロナッツを壺に入れ煮込んだ「ボスニアンポット」がすごく美味しかった。
(ロナッツとは、牛の角切り、キャベツ、にんじん、黒こしょう粒、じゃがいも、
玉ねぎを煮込んだもの)写真暗い、、、、。


他にもボスニア料理の盛り合わせ↓

●ソガンドルマ(たまねぎのひき肉詰め)
典型的なボスニア郷土料理。たまねぎとひき肉の炒めをタマネギに入れた肉詰め。ん?説明すると複雑。

●サルマ(春菊の葉で肉を包んで煮込んだもの)
肉に米や野菜などを混ぜて団子状にして、春菊の葉やキャベツの葉でくるんで煮込んだ料理。

などが盛り合わせてあった、、、と思う。

チキンスープはとりあえず、毎回頼んだ。
どれもすごく美味しかった!!!




ここからの眺めは、ほんとうに良かった。
きらきらでキレイ!とかでは全くなく、ジプシーミュージックが流れていて、
とても寂しげ。




セルビアもボスニアも、過去はひとつのユーゴスラビアという国だった。
信じられない。
過去のさまざまな国と国との歴史を思い出した。


今は平和が訪れている。少しずつ観光客も増えている。

















クストリッツァのアンダーグランドを思い出した。



ここに赤い屋根の家を建てる
煙突には鳥が巣を作る
客たちを迎える門は広い
恵みを与える大地には感謝を忘れまい
花咲く野は祖国の織物を思わせる
だが 苦痛と悲しみと喜びなしには-
子供たちにこう語り伝えられない
“昔 ある所に国があった”と




「ぼくたちは、許す。でも忘れない。」









夜の旧市街を歩きながら、
部屋へと戻った。

2011年11月12日土曜日

旅行記4 サラエボへの夜行バス

無事22:30の夜行バスに乗り、

ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボへ向かう。



セルビアとボスニア間の複雑な関係により、

わたしたちの乗ったバスは

ボスニアのセルビア人共和国側バスターミナルに到着する。

昼間のバスに乗れば、ボスニア側のバスターミナルに着けるのだが、

昼の移動は時間がもったいないので、夜行にした。


このバスターミナルが、今回の旅での一番の難問。


それはこのバスターミナルから、本当にサラエボ市内にいけるのだろうか!

ということだった。


日本で調べに調べた結果、

★このバスターミナルは通称「ルカヴィツァ」という、らしい。

★このバスは朝5時ぐらいにバスターミナルに到着する、らしい。

★しかも、そのバスターミナルの周りには何もなく

朝6時のトロリーバス31番で市内に行くしかない、らしい。

★市内までは30分ぐらい、らしい。

★バスにはボスニア通貨のマルカでしか乗れないが両替所はない。

お店も朝は空いていない。

★とにかく何もなく田舎だ。


うーーん

これはどうしたもんかな。でも多分なんとかなる!

サラエボの予約しておいたホテルの人に、

何度もメールして移動手段を予習しておいた。

ホテルの人は「大丈夫!待ってます!」としきりに言ってくれた。

相当心配性な日本人に思えたのだろう。

マルカにはセルビアで替えておいた。



しかし、そんな不安もなぜかすっかり忘れ、疲れていたので結構爆睡。

たまに起きて、徐々に明るくなる田舎の街並みをみる。

結構いい感じだ。寂れすぎてる!!!好きな映画みたいだ。


2時間に一度のトイレ休憩の場所は、

これまた好きな映画に出てきそうな雑然とした雰囲気だった。

でも、寒くて降りるのが億劫で一度も結局トイレに行かなかった。


途中、国境を越える。


パスポートチェックのため、バスに乗り込んできた警官にパスポート預け、

スタンプをもらい完了。

あっけない。



ふと気がつくと、朝の6時、、、。

あれーまだかなー。


と思ったときバスが停まった。

女性が一人降りた、、、、。



あれ、誰も降りない。

ターミナル通過-。



「ああ、だめかも。間違えたかも。」



心配になり、スタッフらしき人を起こし、

「このバスは何時にサラエボにつくの?サラエボにつくのですよね?」

みたいな事を聞いてみた。


「6時半につくよ!次はサラエボだよ!」


よかった、、、、。



そして到着したバスターミナル。
















想像以上に、何もなく、とても暗い。


















ああ、来てしまった。ベオグラードは都会だった。


念のためターミナルの人などに、

「ここはルカヴィツァですよね?

サラエボ市内のバスターミナルじゃないですよね?」


と聞いても、特に聞き取れそうなコメントはなし。英語じゃない、、、、。


うーーん。とにかく、すこしの間ここに居よう。


ベオグラードから一緒だった、

バックパッカーのハリスと一緒に。

(その後、幾度かサラエボ旧市街で遭遇し「ハリスユースホテル」という

宿を探してたので、通称ハリス)


※ハリスは「たばこを吸ってくるから荷物をみてて!」とか

地図持ってる?」とか、言ってくるくせに、

表情はまったく社交的な感じではなかった。

でも彼と遭遇したらなんだか毎回安心した。

彼は今どこの国に居るのだろう、、、生きているのだろうか。

ハリスはハリスに着けたのだろうか。


結局トロリーバス乗り場もそこそこ歩く距離だったので、

タクシーの運ちゃんに10ユーロを見せ、ホテルへむかった。

一言もしゃべらず、寡黙な運転手だった。



ようやく、サラエボ。



2011年11月6日日曜日

旅行記3 ノビサド編

結局、午前10:00ぐらいのバスでノビサドへ向かう。

ドナウ川を眺めながら、1時間30分ほどで到着。















到着後、昨夜ネットが使えなかったので、
どこでも良いのでカフェに入り、wifiを探す。
ついでに、ビールも飲もう!!
















やっとネットが繋がった!



早速、市街から旧市街へ歩く。

ドナウ川岸まで行くと、右岸にあるペトロワラディン要塞があるけれど、
そこまでは行かず、街を歩くことにした。
















市街の裏路地をぷらぷら。














日本で言う、団地。
どれぐらいの人が住んでいるのだろうか。

ノビサドは小さな街なので半日もあればぐるっと回れます。

変な服を着た東洋人がぱしゃぱしゃ写真を撮っていると、
二度見どころか、三度見をよくされました。

旦那さんが、緑の花柄のパーカーで、
わたしは女なのに軍隊の様なジャケットを着ていたからでしょう。


街には、ほとんど紛争な跡はない。



徐々に旧市街へ入ってきました。




























大きな聖堂、小さな教会がたくさん。

20もの他民族が暮らす土地ならではの風景。
ノビサドには、セルビア正教会、カトリック大聖堂、ユダヤ教のシナゴーグ、
スロヴァキア人のルター派教会など、かなりさまざまな宗派施設があります。








セルビア正教会。ちょっとキレイすぎるな。
こじんまりとした教会は好きです。











こちらにはSOBEという格安民宿がたくさんあります。
激安旅にしたい時は、使用した方が良さそう!


「一般家庭の一室を客室にしているところが多く、
あなたを家族のように温かく迎えてくれるでしょう。」
と、ガイドブックに書いてあった。





広場で古本市が開店していた。
「動物の生態」的な本を100ディナールで買う。





お昼は地図にのっていた、「fontana」で食べることにした。
お店の人におすすめを聞いて、
セルビア郷土料理のお肉のカツレツみたいなものを食べてみた。
「カラジョルジェヴァ・シュニッツラ」というらしい。
覚えれん!
タルタルソースをかけていただきます。
日本人にはちょっとくどいかもだけれど、なかなか美味しかった。
またビールを1杯だけ。

でも、この後のボスニア料理には勝てないな!




ノビサドは「寂れた市街」と「人の集まる旧市街」というメリハリのある街でした。
好き嫌いはとても分かれると思うけど、
私たちは「寂れた街」好きなので、楽しかったです。














そうそう、メルにそっくりな猫がいた!
すごく似てた。


「天国に行ったと思ってたけど、こんなところにいたんだね。」
とか言ってみる。

旅の力って恐ろしいです。






帰宅便を15:00に予定していたけれど、
バスに間に合わず17:00に乗ることにした。















帰りのチケット売り場のおばちゃんは、
相変わらず英語をまったく話さない様子だったので、困ってしまっていたら、
横に居たお兄さんが英語で教えてくれました。
でもおにいさんの英語もかなり早口!

「15:00のバスはもう満員だから、次の17:00のバスしかないって!」だけは聞き取り、
無事に帰宅できました。


帰りのバスはとっても混んでいた。


ベオグラードに戻り、スーツケースをピックアップし、
22:30までホテルのロビーなどで過ごす。


にしてもスーツケースが重い、、、。
次の個人旅の時は、もっと荷物を減らして挑みたい。
もしくは、大きなリュックが欲しい。
あと、洗濯機とキッチンのあるホテルを探そうと思う。
課題1と2。