2011年7月24日日曜日

眼中の人



先ほど荻原魚雷の本を読んでいたら、
小島政二郎の「眼中の人」が紹介されていた。

登場人物が芥川龍之介と菊池寛で、
この大物二人と関係が深かった小島政二郎が、
二人に対する嫉妬心を、端正な文章なのに
ヤケクソに綴った自伝的長編小説なのだそう。

早速惹かれて購入した。

嫉妬心とは、ただの嫉妬ではない。
もちろん他にない才能あるふれる人に対する尊敬なのだ。


その中で小島が菊池の事を綴っているやり取りを
魚雷がピックアップしているのだけれど(ややこしい!!)
その内容が強烈だったので、書き留める。


  シキタリに従って生活していたのでは、そこに生活と自分との間に
  何の闘争も起こってこないのではないか。
  シキタリの檻から出て、自分流に、自己の個性に則して
  生活するところに、人との、社会との衝突、矛盾、対立、
  その他いろいろの闘争が生じてくるのではないか。
  勝つか負けるかの戦端が開かれるのではないか。




わたしは小説家ではないので、題材を見つける為に勝つも負けるもないのだけれど、
ただ、人とぶつかるのが嫌いとか、めんどくさいという平和主義な人たちは
わたしは違うと思うなあ。
別にトラブルメーカー良し!とかいう意味ではなくて、
みんなといっしょが正しいと思いすぎている事が問題なのですよ。


しかしわたしも、全然シキタリに飲まれている日々です。


どんどん社会に飲まれていくと、
全員同じ意見で、同じ感覚状態になってしまう。
みんなしてきれいと思うものがきれいとなってしまう。
そうしたら、そこから衝撃的なモノが産まれてくるのだろうか。
簡潔に言ったら、楽しいのだろうか。

何かに、疑問や、劣等感、嫉妬心を持って生きて行くことは
とても大切なことだとわたしは思う。
人間らしい個性だと思う。


だけれど、もし将来、自分かどこかの子どもたちに
「なぜ大切なの?」と聞かれたら
まだしっかりと説明できる内容が揃っていない。


自分にもまだ自問自答しています。


本が届いたら、また感想を書こうと思います。
何かが見つかるヒントがあればと思います。





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